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「性善説」と「性悪説」から

世の中には、「善い行い」をする人と「悪しき行い」をする人がいます。 それは、何処からくるのでしょう?

これを考える前に、中国の戦国時代の思想家の「性善説」と「性悪説」についてです。「性善説」は、人間の本性は善であり、仁・義を先天的に具有する考え、それに基づく道徳による政治を主張した孟子の説。そして、これに対し「性悪説」は、人間の本性は悪であるとして、礼法による秩序維持を重んじた荀子の説があります。

そこで、私自身が過去において人生(生まれ変わり)を何回経験しているか定かではありませんが、善と悪の両方を経験して、はじめて一人前になれると私の考え方があります。 大概の人は善だけを主張したがり悪を排他的に考えますが、悪いことをすればどうなるのかを経験した結果、その道理がわかる世界があります。 いろんな辛苦をさせられるのは、経験不足を補うために他ならないのです。 現在 悪い行いをする人がいれば、その経験を積む必要があるからです。善い行いをしている人は、過去で十分に経験を積んできたので、その必要がないということになるでしょう。これが理解できれば人を責めなくなりますし、その対応も自然と変わってきます。

私たちが住み慣れた地球では、いろんな経験を積むことで精神性を養う、貴重な惑星といえます。ですから、この地球上では戦いごとは続きますし、いろんな想念が渦巻く世界も消えることはないでしょう。動物の世界(弱肉強食の世界)を見れば、一目瞭然です。これは、人間の世界に置き換えることもできます。

しかし、悲観的に考える必要はありません。当院では、病気や日常の生業を通して過去の自分の行いを理解するように結びつけています。そうすることで、理解するまでに時間は必要ですが、その間に理解力が増し精神波動も向上していくのは間違いありません。これは云うまでもなく、その人の魂の向上にも一役かっているのです。これをハッキリいえるのは、私が皆さんを治療中に、私の身体を通してその本質が解ったからです。そして、精神波動が変わった人の治療(遠隔治療も含め)をしていると、その人の今までの荒々しい波動が影をひそめ、繊細な波動に変わり軽くなっていることが日々確認できるからです。この時点で、ご本人にハッキリとお伝えしています。

いろんなことが日常の生業から理解できるようになると、それだけ自身に対する責任も増してきます。これからの時代は、さらに心して歩む必要があります。

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