「なるようになる」から
一休和尚が臨終の時の逸話からです。
「仏教が滅びるか、大徳寺が潰れるかというような一大事が生じたら、 この箱を開けなさい」と遺言を述べて、一つの箱を弟子に渡した。
それから長い年月が経過し、大徳寺の存続に関わる重大な問題が起きた。
にっちもさっちもいかなくなったとき、和尚の遺言を思い出し、 寺僧全員が集まって厳かに箱を空けることにした。
中に入っていたのは一枚の紙だった。そこに書かれていたのは 「なるようになる。心配するな」という一文だった。
最後に出てくる「なるようになる。心配するな」という言葉は、
「どうせ、なるようにしかならないんだから、心配なんかしてもしょうがない」 というようなニュアンスとは違い、「なるようになる。心配するな」という言葉の前には 「為すことをなせ」というメッセージが前提として隠れているのではないか、ということです。
省略している一文を補えば、最後の文章は「為すことをなせ。そうすれば、なるようになる。 だから、心配するな」となるのでしょう。 このように、過去の名言には、あえて省略している文言が数多く存在していると思います。